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以下ネタバレありなので、他の公演にこれから行く方々はご注意下され。
ヒラリー・ハーン(vn)、イム・ヒョスン(p) イザイ 無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番 op.27-1 エネスコ ヴァイオリンソナタ第3番 op.25 「ルーマニア民俗様式の」 ミルシテイン パガニーニアーナ モーツァルト ヴァイオリンソナタ KV301 ベートーヴェン ヴァイオリンソナタ第3番 op.12-3 アンコール アルベニス タンゴ プロコフィエフ 3つのオレンジの恋よりマーチ ハーンのテクニックは常ながら完璧。ハーモニクスや微分音の音程、さすがにハーンでも少しは外すかな、と思いきや凄まじい安定感で、もはや人間業とは思えんぞ。ハーンが別格的存在であることを改めて思い知る、震撼すべき演奏だった。ただ、その超絶テクがストレート感動を呼ぶか、といえばそう単純でもない。その最たる例がエネスコで、この曲に多用されるいわゆるパルランド・ルバートによる揺らぎを不必要なくらい均質化するため、結果としてローカルな匂いを丹念につまみ出すことになってしまい、後期ドビュッシーの亜流のような響き程度までしか達成されなかったのが残念だ。 とはいえこれは伴奏者に起因する部分が多いため、ハーンだけに責任がある、などとは到底言えない。01と05、モーツァルト録音の相方ナタリー・シュウは無神経なフォルテを叩き込むケースが目立ち、音色への配慮がまるで足りない奏者というイメージがある。とはいえ05は、01よりは遙かにマシになっていたので今回はちょっと期待していたのだが、発券後に演奏者交替がアナウンスされ、そしてやって来たのが今回のイム・ヒョスン。彼女はシュウとは全く逆のベクトルながら、同様に音へのセンスが乏しいのだ。 なにせ音に芯というものがない。ピアニシモは単に弱く弾くだけ。それは彼女が基本的に上膊部の重みだけで演奏を展開するからだ。そのため、フォルテは音量が絶対的に不足している。これはクラスター的音形もあるエネスコ、ないしはベートーヴェンの特に第3楽章では致命的。フォルティシッシモですら、これはメゾフォルテだったっけ?、と思わせるほど、ダイナミクスの幅が絶望的なまでにない。モーツァルトでは、シュウとの録音より繊細な印象を与えはするのだが、どの曲目でも、この奏者とハーンの天と地ともいえる力量、そして立場の差ばかりが露わになる。頭の中を、数日前に聴いたボザールによるショスタコのトリオが甦った。ホープとメネセスは頑張っているのだけれど、一人高みの見物を決め込んでサロン音楽をやっているプレスラーが全てを台無しにしたあの演奏を。。。 一方、ピアノのいない無伴奏なイザイとミルシテインにはさしたる文句はなく、調子としては05オペラシティよりは遙かに良かったように思える。となればやはり、伴奏者に不満が募るのだなあ。それにしても改めて考えると、ヴァイオリニストにとってよき伴奏者を得ることは至難だ。アンスネスとフォークトのいるテツラフ、ルガンスキーやベレゾフスキーと共にあるレーピン、ブラレイにアンジェリッチと組めるカピュソン兄なんざは、本当に幸運な連中なんだなあ。 なお、エネスコ第2楽章を弾き終えた後、咳き込んだハーンは「ゴメンナサイ」と言って数分退場。帰ってきた時の慌てた、しかし舞台をドカドカ踏みならすわけにもいかずに披露したペンギン走りが微笑ましかった。ちなみに彼女は日本語のインテンシヴ・コースをわざわざ履修したくらいの語学ヲタク。アンコールでプロコを弾く前に「コレが最後デス」とかなんとか言ったのは、普通の外タレがやるチンケなサービス精神ではない。その成果の披露なのである!!、、、ということはあまり知られてないかもしれない。 ・ ・・・・ イザイ、エネスコ、ミルシテインは最近頻繁に演奏会にもかかるようになり、録音も増えてきた気のする曲群だが、このプロが発表された後、聴き直した録音のうち、記憶にあるものだけついでに以下に記す。 エネスコが、エネスコ+リパッティ(フィリップス)、コルシア(BMG)、カヴァコス(ECM)、カントロフ(ALM)。 イザイの無伴奏はクレーメル(ビクター=メロディア)、FPZ(EMI)、コルシア(Lyrinx)、シュミット(Arte Nova)、ツェートマイアー (ECM)、戸田弥生(Exton)。 ミルシテインはミルシテイン(BridgeおよびThe art of violinのDVD)、クレーメル(DGG)、庄司紗矢香(DGG)。 |
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